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悩むということ

2004年10月28日(木)

現代人は「悩む力」が、衰退しているように思います。自分の思い通りにいかないとすぐに暴力に走る、諦める。凶悪犯罪、児童虐待、自殺の増加などは、そんな一面を感じさせる。
その昔、釈迦は法華経の中に、「どうすれば、人々を無上道に入らせ、速やかに成仏をさせることができるだろうか」と説いている。これは仏が常に心に懐いている精神である。初めからその方法を知っているのではなく、「どうすればこの人を」「どうすればあの友を」と心を砕き、精神闘争をしている姿を表している。
悩みがあることが、決して不幸ではない。むしろ悩みがあるからこそ、自身の精神を強固なものに築くことができ、何があっても負けない自分をつくりあげていくのだろうと思う。あの人のために、この友のために尽くしていく中に、気がつかないうちに自分が悩みを乗り越える力を蓄えているのだと確信しています。目先の苦悩を悠然と見下ろす自分でありたい。富士のように微動だにしない自分を・・・。

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偉大なる言葉の力

2004年10月08日(金)

 アメリカの第16代大統領リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉は、あまりにも有名である。が、これも実は、わずか5分ほどの短いスピーチの結びの一言であったそうです。

今でこそ、民主主義の根幹を示す演説として、誰もが賛同し、評価するスピーチとなっているが、当時のマスコミは称賛する者もあったが、質の低い演説として酷評する者もあったという。この歴史的な演説は、南北戦争中の1863年11月19日、ペンシルバニア州ゲチスバーグの丘でなされた。戦争中の激戦地であり、国有墓地にして、戦没戦士の霊を弔おうという運動が起こり、この日の式典となったそうです。

 ところで、この式典に主催者は、もともとリンカーンのスピーチを式典にメーンには考えておらず、当時、アメリカで最大の雄弁家とされたエドワード・エベレットの演説がメーンであった。それは2時間に及ぶ大演説であった。
なかには長演説に耐え切れず、途中で帰ってしまった人もいたそうである。それに比べ、リンカーンの演説はまことに簡潔であった。
スピーチもよしあしは長短で決まるものではない。そのことは、あらゆるスピーチにも当てはまる。当然、長い時間が必要な時もあるが、ただ長ければよいというものではない。要するに「時」と「場所」を考え、参加者の“感情”や“機微”を鋭く見抜き、その時々に判断することが重要であろう。

 言葉の力は大きい。それは演説に限らず、小さな集いや、日常の会話であっても同じことだと思います。また、話の優劣は、表面的な上手、下手で評価されるものでもない。

 要するに、人の胸を打ち、納得させていくのは、言葉に何が込められているかであり、相手を「思いやる心」と「誠実さ」そして「高き精神」こそ肝要であり、その人格や人間性が明快な論理となって表れて相手の心を動かし、社会を動かしていくのであると確信します。

 人は人と人との間に生きる動物であり、その間をつなぐものは言葉であることを忘れてはならない。

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