サッカーW杯が開幕
4年に一度のサッカーの祭典であるワールドカップが9日から開幕しました。前回、日韓共催で行われたW杯の記憶も新しい中、新たな歴史を築くべく参加32カ国が悲願を目指して戦いに挑んでいます。
私も学生時代からサッカーをやっていたので、W杯の歴史や伝統を自分なりに認識しているつもりですが、世界で一番親しまれている、普及しているスポーツはサッカーです。その理由は、
1.ボールひとつあれば、どこでもできる。
2.体格(身長や体重)差が関係ない。
この2つが、大きな理由でしょう。神様で有名な“ペレ”や英雄“や”マラドーナ“も身長は170 cm に満たないが、素晴らしいプレーで観客やファンを魅了しました。
そのことから、世界中でたくさんの人々が熱狂的にサッカーを愛していることがわかると思います。
また、サッカーを頑張っている子どもたちにも、一流の選手のプレーを見て、夢と希望を持って将来のサッカー選手を目指して、諦めずに頑張って欲しいと願います。
道は険しいし、甘くはないけれども、一流の世界を目指すことは、一流の人格を磨くことにつながるからです。
華やかな世界の裏では、人知れず、苦悩の連続で一生懸命努力を怠ることなく、練習をしている一流の選手がいることも忘れずに・・・。
オリンピックの招致について
オリンピックの招致活動が今、国内にて盛んになっています。東京都と福岡市が立候補し、今後、国内候補地としてのキップをめぐって活動が活発していくでしょう。
元来、オリンピックはその時代時代において様々な二次的要因として政治や国内経済事情に影響を及ぼし、論議を呼んできた。
確かに、アドルフ・ヒトラーは国威発揚にこの祭典を利用し、ナチスドイツを世界にアピールすることに成功したし、その一方では、過剰な誘致活動における一部IOC委員による贈収賄容疑や、開催国による経済への影響を懸念する声も聞かれます。
しかし、オリンピックは4年に一度の「スポーツの祭典」であり、世界各国から競技を通して民族、人種、宗教、文化を超えて世界共通の認識に立った人間交流を図ることが真の目的ではないでしょうか。
未だ誘致活動であり、正式に 2016 年の開催地になったわけではないですが、「日本」が地球的規模で真摯に物事を考え、行動を我が地域から起こすというスタンディング・ポイントで姿勢を示すべきであると考えます。
いろんなマイナス要因もあることは充分に承知していますが、オリンピックに参加する選手には(もちろん小学生、中学生、高校生も)夢と希望と目標をもって目指してもらい、我々政治に携わる人間が、あらゆる問題に責任をもって対処していくことが必要ではないでしょうか。まったく議論がまとまらない会派などには理解できないでしょうが・・・・。
親の生き方こそ子どもの財産
仏典には、「よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・なをしくなるなり」という言葉があります。これは善良な人とむつまじくすれば、自然に心も、振る舞いも、言葉も正しくなっていくという人生の道理を示したものである。
人の心は常に変化をしている、とりわけ、雪のように純白な子どもの心は、その人生で出会った環境によって、よくも悪くも、どのようにでも染まってしまうものでしょう。
子どもへ何を伝えるのか、子どもにとっては親、特に母親の日々の行動のすべてが語り部ともいえ、子どもの心にかけがえのない財産として残り、生きていく力となっていくものではないでしょうか。
時代や環境がいかに変わろうとも、母親の豊かな心と知恵によって、子どもは常に大いなる夢を持ち続けることができ、反対に、いくら子どもの理想ばかりを求めても、夫婦ケンカが絶えなかったり、愚痴をこぼしたり、人の悪口を言う母親であっては、子どもは敏感に厳しく感じ取ってしまうものである。
最後に、「父母は必ず四の護を以って子を護る」と仏典にあります。 4 つの護とは「生み」「養い」「成ぜしめ」「栄えさせる」ということですが、これはすべての親の本然的な姿と願いを端的に示したものでしょう。ここでいう「成」とは、人生において何を「成」じていくのか、また何をもって人生の「栄」とするのか。その基準となる視座があまりにも現代には見えなくなっているのではないでしょうか。
私たち大人がその生き方の軌跡を、子どもに示していける存在にならなければと思う。



